あの日の少女の夢は

スーパードルフィーと暮らしてる女の日常

私は人形じゃない

今日は少し私について話そうかと思います。

※写真は過去の物です。ダブっていたらすみません。



今思うに私の家庭は変だったと思う。


まず私は幼稚園の頃、母親にパーマをかけさせられていました。


私は人見知りが激しかったので
毎回長時間美容院で知らない美容師さんに
話しかけられるのが苦痛で仕方なかった。



そして毎朝母親に霧吹きでカールを出すために
座らせられ、髪をセットさせられるのも苦痛だった。



あとこれは本当に許せないのですが、
母親は私の母子手帳を紛失してます。


悪びれもせず、
「なくしちゃってさ☆」



そして小学生の頃には茶髪に染めさせられてました。



そんな私を着飾らせたがりな母親でしたが、
七五三やひな人形はどうでもいいらしく、
七五三は全部スルー(母は無宗教です)
ひな人形はバキバキに割れているガラスケースの物。(オルゴールも壊れていた。母親が粗末に扱ったんだろう)



きちんとスタジオ的な物で写真を撮ったのは
異常な程にこだわった中学受験の願書のための
証明写真を撮ったとき。
これが初めてでした。



ある意味、母親は洗脳のプロだと思います。


沢山の私立中学の説明会やらなんやら連れていかれましたから。



まさに私は母親のお人形でした。



着せるお洋服は有名私立中学の制服。



公立中学のださいセーラー服なんて着させない。
許さない。



まぁ、こんな私でしたから、入学した私立中学の
高校には上がらせてくれませんでした。
(私立中学側から拒否ってことね)



今思うと母親はガキみたいな嫌がらせをしてきました。

高校はとりあえず、近くの私立高校を受験しましたが、
その時の願書の写真は近所のスーパーのスピード写真。
(中学受験の時はきちんとしたスタジオ予約したんだけどね)


願書は母親ではなく父親が記入。
(有名な高校じゃないからでしょう)


テレビのニュースで公立高校の受験の話題になったらチャンネルを変える。


そして用が無くなったら私立中学の制服を即効ゴミ出し。



母親は常に私を着飾らせたいようでした。



高校を出る頃からは
「ミスさっぽろに応募しろ~」ってうるさかったですから。
(しかも私が必ずミスさっぽろに選ばれると思い込んでいました。母親が言うには他のミスなんちゃらの女の子はブスだから可愛いアテクシの娘なら余裕)



まさに母親はエゴの塊でした。




だからなのでしょう、ドールを自分を目立たせるための道具にしている方に腹が立つのは。





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言っておくけど、本当に辛いし、大人になっても
この事が障害になります。必ず。



これはウェットな考えですが、
ドールにも心はあると思っています。




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お人形さんのように扱われた~なんて例えるけど、
お人形さんだってお人形さんのように扱われると悲しいんだよ。





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かりん

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